甦る 古きよき日々 愛媛を歩く ――愛媛県〜今治・大洲・内子
八幡浜で出会った牛鬼 風格ある木造建築 内子座


●燈台へ 道が辿れず あきつ虫―― 生まれ故郷の今治市へ

 2006年10月8日・9日の連休で、しまなみ海道を渡り愛媛県へ入り、今治・佐田岬・大洲・内子を回った。愛媛県は、私の生まれた土地である。私の名の一文字は、出生地「今治」の「治」をもらった。
 しまなみ海道は全線がつながって快適な走行路となっている。ただ、余りにも快適すぎてあっと言う間に島々と瀬戸を通り過ぎ、印象も走り抜けてしまった感じ。SAで珍しい塩ソフトを売っているが、この日は連休の人出のせいか品切れになっていて食べ損なった。
 私の生まれた場所は今治市近見の大浜燈台の構内、石造りの官舎の一室である。1957年2月7日の昼のことだった。人は生まれた時に肺胞に空気が入り、その最初に入った空気は一生入れ替わらないと聞いた。私の肺の奥には、限りなく海抜ゼロに近い来島海峡の空気が今もあるに違いない。
 今治は生まれただけで記憶は全くない。燈台構内特有のバラスの敷かれた地面で落ち葉焚きがされて、炎に熱された空気のゆらめきの向こうに犬がいたシーンが、自分の最も古い記憶であるが、それが今治でのものかどうかは今も不明。
 1982年5月、まだ子供の生まれていない頃に妻と二人で今治を訪れたことがある。その時、大浜燈台まで行ってみるとバラスの構内で官舎はすでに取り壊されて更地になっていた。今回はさらに、燈台そのものへの道が閉鎖されて通る人もなくなったようで、雑草で荒れ果てて先へ進めなかった。ただ、バス停の「灯台下」という名称に、我が生誕地のの名残をとどめる。
 今治市街は、82年に来た時と比べると隔世の感があるぐらいに、広く、明るく、きれいになっていた。以前の、戦後を引きずったような街並みは全くみられない。今治城も天守閣がリニューアルされ、海水を堀に引き込んた臨海型の城郭が整備された公園となっていた。
 今回は車で訪れたので、鈍川温泉に立寄ってみた。日帰りで入浴できる鈍川温泉せせらぎ交流館がある。建物の横を渓流が流れる。
 
          
来島海峡よりしまなみ海道を遠望する 近見大浜漁港 この道を入ると燈台へ続いていた バス停の名は「灯台下」

          
今治城天守閣 海水を引き込んだ今治城の堀 鈍川温泉せせらぎ館 鈍川温泉の渓流

●佐田岬 朝日に輝く 魚場と舟―― 険しい岬の崖の道を走る

 今治から移動し、車中泊。明け方になると結構冷え込んで眠れなくなったので、夜明け前の佐田岬を走って灯台をめざした。佐田岬は、昔から地図を見ては想像を逞しくしていた。中央構造線に沿って、海中へ真っ直ぐに突き出している細長い岬である。
 実際に行ってみて印象が変わったのは、平坦な砂州のような岬ではなく、海中に切り立った険しい岬だったこと。海岸線のほとんどは断崖であり、道路はかなり高い部分を走ることになる。まるで切り立った山脈が海中に没し、その尾根の部分だけが海面から顔を出しているような感じだった。
 佐田岬の灯台までめざしたが、途中で道路は一車線となり心細くなる。早朝のことで対向車がないことが救いだった。ところが、灯台へ行くための駐車場が地すべりのため進入禁止になっていた。おかげで結構高いところにある細い道路をバックで戻らなければならない羽目に陥った。地すべりの駐車場に徒歩で踏み入って、何とか白い灯台の一部だけ撮影することができた。その先には関サバ、関アジの魚場で潮流が渦を成して広がり、眼下の磯では青く澄んだ海水が浜辺を洗っていた。
      
三崎漁港の夜明け 朝日に照らされた漁港 かろうじて佐田岬燈台をとらえる 佐田岬の青い海

●同郷の 文人の本買う 煉瓦館―― 大洲の街を歩く

 大洲は小さく魅力的な街である。中心の大洲城は、川沿いの高台にあって、特に川岸からの眺めが良い。白い天守閣と緑の森、そして古い町並みが一体となって絵のように収まっている。
 大洲城の天守閣からは、瓦屋根や煉瓦づくりの街がよくみえる。おはなはん通りと名づけられた一画は、古い土壁や煉瓦の建物が続く。道路の橋にも花を植えたプランターが並べられている。
 おはなはんとは、樫山文枝主演のドラマのことであるが、今となってはリアルタイムに覚えている人も少なくなった。私はかろうじてタイトルや主題歌の記憶はあるが、若い人には通じない。かくいう私もストーリーは思い出せない。
      
祭りを待つ牛鬼 大洲城天守閣 肱川より大洲城を遠望 臥龍山荘
       
肱川の堤防 土壁の道 おおず煉瓦館 民家の蔵
 
●秋の風 内子座の幟 裏返す―― 内子町を歩く

 高校時代に大江健三郎氏を愛読していた。意味が分かって読んでいたがどうかは自信がないが、それでも確かに本を買うと楽しみに読み始めたものである。作品の中でよく出てくるのは、障害を持って生まれてきた息子のことで「空の怪物アグイー」と表現されたりしている。もう一つは、「四国の山の中」という表現がよく出てくる。それが、大江氏の出身地内子町のことであった。
 私と同県の出身であることが親近感がつながった。以来、いずれは内子に行ってみようと思っていた。
 現在、内子町はちょっとしたブームになっていて、観光客も少なくない。経営資源は、古い町並みと歴史的な建造物。その象徴は、今も現役で使用されている芝居小屋、内子座である。
 木造の劇場は、風格があった。鼓童のポスターが貼られ、近日上演が予告されている。中心地の大通りに面しているわけではなく、住宅が並ぶ狭い道の中に忽然と内子座が現れる。
 翌晴れた秋の空を背景にした木造建造物が、古きよき日々を投影していた。
      
内子座の建物 内子座入口 商いと暮らし博物館の展示 趣きある建築物が並ぶ