短い夏 過ぎて 挽歌の 街となる ――北海道・道東部、脅威の大地を往く
神秘の湖 摩周湖 遊覧船から見るカムイワッカの滝


●植物も、家並みも、何もかも風景が違う北海道

 北海道編は30年前にまで遡る。灯台守であった父と母が転勤で根室市に4〜5年住んだことがある。その間に、私自身はすでに大阪に暮らしていたが、帰省を兼ねて3度ほど北海道の地を踏んだ。
 北海道はさまざまな意味で脅威の大地であった。特に、父の勤務先の道東部は、内地に比べてあまりにもダイナミックで、驚きに満ちていた。
 まず、植生が全く違う。路傍の雑草さえも違う。フキやイタドリという共通する植物もあるが、いずれも背丈を越える程に大きく、まるで自分がコロボックルになったかのような気にさせられる。地面は黒みを帯びた土で、いたるところがぬかるんで水はけの悪い湿原状となっている。
 家屋には、門や塀がほとんどない。屋根に瓦がなく、ほとんどはカラフルにペンキで塗られたスレート造り、雨樋がなく、窓は二重窓。地面は冬になると凍ってしまうせいで、道も空き地もぼこぼこに波打っている。原野に街が建てられている感じで、必ずしも人間が主人公ではない。
 父が住んでいたのは根室市内にある官舎。国境線を間近にした有名な納沙布岬の灯台や、落石(おっちし)岬灯台を管轄していた。
 根室の駅を降りると目に付くのが、真っ赤に茹で上がった蟹を売る店である。花咲ガニという種類で、とがった頑丈な甲羅と鮮やかな発色、旨みの濃い味が特徴だ。全国でも根室周辺でしか獲れない。私の経験から言うと、あらゆる蟹の種類の中で花咲ガニより美味であったものはない。日本一だと思う。
落石岬灯台 納沙布岬灯台 花咲ガニ

●地面が凍る街〜根室の暮らしは驚きの連続

 納沙布岬へ行く道路は途中で人家がなくなると、あとは延々と短い草の生える荒地と、強風に曲がりながら地面に伏すように生えるミズナラの群落が現れる。そして、どこまでいってもこの風景が続く。北海道特有のワンパターンの景色。最初こそもの珍しいが、飽きがくるほどに一色に塗りつぶされる。
 納沙布岬に行くと、波に洗われる岩礁に「千島を返せ」と白ペンキで大書されている。第二次世界大戦終了後、ヤルタ協定によって千島列島は旧ソ連領となった。国後島も、歯舞島も肉眼で見える。暗い色をした海の上、見えない国境線をはさんで貝殻島灯台(ソ連領)までは本当に近い。遠泳好きなら泳いででもいけそうな距離の近さだ。
 日本政府は、「千島は放棄したが北方領土の4島は千島列島ではない」と主張して返還を要求している。歯舞・色丹は歴史的にも地理的にも北海道の一部であることに異論はない。国後・択捉は地形としても千島列島。千島にあらざるから返せ、という理屈ではなく、歴史的に日本の領土として平和的に確定していた千島を、敗戦国から奪い取るような行為は不当であり、協定そのものを破棄すると堂々と主張したほうがいいのではないかと思う。
 なお、返還後の千島を軍事利用はせず、豊かな海洋資源に注目した平和的な活用をすることが望まれる。ロシア人はほとんど漁獲しないそうで、旧ソ連領は魚介・海藻類が豊富な宝の海であるそうだ。エンジンをパワーアップさせた北海道の漁船が突撃して密漁し、警備艇が追ってくるのをかいくぐって日本領に逃げ帰るような漁もおこなわれていると聞いた。
 私自身は冬の根室を経験したことはないが、父母の話を聞いて驚かされた。根室の水道は地表より60センチは下に埋設している。50センチまでは凍ってしまうからだ。我が家の前の地面は、夏は玄関の縁石より下に土があるが、冬場は地面が凍って体積が増し地面の方が高くなる。道東は雪はそれほど降らないものの、一度降った雪が解けないのでいつまでも砂漠の砂のように滞留し、風が吹く度に(根室は風が強い)吹き上げられる、この現象のことを地吹雪と言うのだそうだ。道路は白く凍りつき、タイヤ痕だけがレールのように黒く描かれ、乗用車はそのラインの上を忠実に走る。まるで路面電車。
 駐車場の出口などでスリップする車があれば、見ず知らずの通行人もみな手を貸して押し出すことが当たり前におこなわれる。お互い様なのだ。怖いのは地吹雪の中のエンジントラブルで、止まった車にはあっという間に吹きだまりになってしまい、エンジンをかければ排気ガスが車内に回り、かといってエンジンを止めればヒータが切れて凍死に至る。人と人が助け合うのは、命を守るための知恵でもあるのだ。
 冬場は風呂を沸かすのに時間がかかり、父の同僚で独身の人は銭湯を利用していたそうだ。冬になると、銭湯から出た瞬間に、氷点下の夜道で髪の毛もタオルも凍りつく。窓辺の金魚鉢が凍ってしまうこともあり、それでも日に当たると金魚の周りから解けてきて再び泳ぎ始めるらしい。
 北海道の家屋はストーブに煙突がついていて、灯油は庭のタンクにまとめ買い、がんがん暖房して室内を暑くし、薄着で過ごす。結露を防ぐため押入れも開けっ放し、洗濯物も部屋干しが基本。
 5月頃まで街中にも雪が残り、7月頃まで朝夕はストーブを焚く。盆踊りは旧盆でおこなわれ、まだ肌寒いので浴衣ではなく綿入れやウールを来て踊る。花見(千島桜という低いサクラが咲く)や運動会では、折詰弁当ではなくジンギスカンを焼く。こんなところが、親から聞いた根室の人々の暮らしぶりである。――どこの国の話だろうかと思うほどカルチャーショックを感じた。。

摩周湖の展望台 牧場の風景が延々と続く 人を寄せ付けない原生林が広がる

●水の原風景〜トドワラ・網走・知床・摩周湖・阿寒湖・屈斜路湖・美幌峠

 北海道は地名表示も凄い。まず読めない名前が多い。根室から知床に向かう途中の交差点に「穂香」と表示され、これを「ホニオイ」と読ませる。そこまでして漢字表記しなければならないのだろうかと感心する。
 道東は夏といえども海霧が発生して日照時間が短く、気温が上がらない。真夏でも上着は必需品、気温も土壌も野菜の栽培には適しない。特に竹はクマザサ程度にしか成長しないので筍が出回らない。市場にはウロコもなくブヨブヨした見たこともない魚が並び、蛸はミズダコという名の巨大種で足一本をスライスして焼くとステーキになるそうなぐらい大きい。
 写真はないが、トドワラに行くと、塩害で立ち枯れしたトドマツの木が白骨林を晒している。ちょうど薄暮の時間だったために周囲に人もなく、心細くなるような寂しい風景であった。
 網走に訪れた時には、網走刑務所の門が開いていてわずかながら中が見えた。高倉健の映画でよく見た光景。「幸せの黄色いハンカチ」では出所した高倉健が最初に入った食堂で、「ビールとカツ丼としょうゆラーメン」を注文し、感極まりながら食べる場面があった。このオーダーの組み合わせは、私がかつて過食癖のあった頃に時々真似した。
 知床で遊覧船に乗って道路の通っていない島の断崖を海上から見た。カムイワッカの滝が絶壁を落ちて海へと注ぐ。写真で見ると遠近感が分かりにくいが、落差32Mある。上流は硫黄泉の強い酸性の湯の滝があり、人の手が加わっていないワイルドな温泉として有名。
 摩周湖は2回行ったがいずれも運良く快晴で、青く澄む湖面がくっきりと見えた。展望所は一箇所しかなく、写真はほとんどが同じ角度からのものである。湖に注ぐ川もなければ流出する川もない。
 阿寒湖では遊覧船が快適だった。真水の豊かさ、原生の樹木の豊かさを実感した。
 美幌峠から眺める屈斜路湖の景色が雄大であった。クマザサ帯になって高い樹木が周囲になくなっていることが展望を助けている。このサイトには自分自身の写真は出さないことにしていたが、古いことで他に写真がなく、やむなく30年前ながら自分の写る写真を初めて載せた。一番下の右、美幌峠の写真中央の若者に25kgの体重を加えたものが現在の私。
 
冬の根室市内、当時の我が家前より 網走刑務所〜門が開いていた 出所者出迎えに関する看板
      
一面のクマザサが広がる美幌峠 美幌峠より屈斜路湖を望む