観光客 遠巻きに見守る ブーケ・トス――岡山県 倉敷美観地区を視る
アイビースクエアの煉瓦塀 倉敷美観地区




●CLASSIC 倉敷

 私にとっての岡山県は縁があり過ぎて、改めて旅行で行くというイメージではない。母方の祖父母は岡山県の玉野の出身で、後に香川県の与島に移り住んだ。祖父は「那須」姓で、親戚筋の言うには那須与一の子孫だとか。ただし、真偽の程は未確認。そんな事情で広島に住んでいた頃の里帰りルートは、岡山→茶屋町→児島から連絡船で与島に渡るか、もう一つは倉敷→下津井経由、連絡船だった。後に香川県丸亀市に転校した時には、遠足で大原美術館を見学したりしたこともある。
 徳山市に住んでいた高校生の頃に、何かの都合で母と二人で与島に行くことがあり、倉敷を通った。さだまさしの「無縁坂」の歌詞を聴くと、私にはこの時の少々気恥ずかしく物悲しい(確か不幸があっての急な帰郷だったと記憶している)倉敷駅前のバス待ち時間のことが思い浮かぶ。
 三〇数年後の倉敷は、当時私が感じたようなメランコリックな空気は微塵もなかった。整備され、明るくなり、賑わっている。レトロな雰囲気が売り物であるが、古めかしささえも新しい時代の演出によってショーアップされている。

大原美術館 倉敷川 倉敷考古館




●倉敷美観地区を歩く

 現在、観光地・倉敷を代表するのはチボリ公園と美観地区である。美観地区は、大原美術館、民芸館を中心に倉敷川の水路をはさんで蔵屋敷が立ち並ぶ一帯である。
 大原美術館前には、路上の似顔絵描きが昼間から酒を飲みながら冷やかしの客と会話している。路傍に手づくりアートを売る人々があって、ちょっとしたゲリラ・アートの通りとなっている。
 美術館に初めて入ったのは四〇年近く前の小学生の頃だった。当時の私たち少年にとっては、巨大な画布に裸体画が描かれていることそのものに、つまり作風よりも専らモチーフの種類によって大変なインパクトを受けたものである。あるいは、額縁から絵の具がはみ出して塗りつけられたルオーの暴力的な画風は、今でも目に焼きついているぐらいに強烈だった。
 そこから絵画に目覚めたらよかったのだが、数年も経たないうちに自分に絵心というか、絵画的センスが欠如していることを思い知らされることになった。ただ、今まであらゆる展覧会や美術館を訪れる全ての機会の中で、この時の大原美術館がひときわ印象に残っていることは確かだ。

美観地区の代表的風景 倉敷民芸館 建ち並ぶ蔵、内部は店舗に改装




●煉瓦塀に囲まれたアイビースクエア

 近くに、倉敷紡績の跡地を利用したアイビースクエアがある。アイビーとは蔦のことで、煉瓦造りの高い塀と煉瓦を覆う蔦が保存されており、煉瓦塀に囲まれた敷地の中へは自由に入って見学できる。
 内部は、ホテルや結婚式場、美術館などに改装されている。ちょうどチャペルで結婚式が終わったところで、参加者が教会前に花嫁・花婿を迎える列をつくっていた。通りがかりの観光客も遠巻きに、温かい視線で見守っていた。

結婚式の祝福の列 アイビースクエア内部(1) アイビースクエア内部(2)






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