WHITE OUT! 雪の庭園と手漉き和紙を訪ねて――島根県 安来市の旅
雪降る庭園・足立美術館 荒天の日本海


●三月記録的な大雪となった研修旅行

 島根県は父の出身地だが、生家は山奥で交通の便も良くないところだったためか、数えるほどしか行ったことがなく、中学一年の時が最後だったので土地の記憶もほとんどない。
 今回は、仕事先の研修旅行で、足立美術館の見学と私の親戚がおこなっている手漉き・広瀬和紙の見学、民宿での宿泊という行程だった。時は2005年3月12日・13日、絶好の春の季節のはずだったのだが…。この日は日本海側が荒天で、記録的な大雪に見舞われた。そえゆえにひときわ印象に残る旅となる。
 交通手段は、6人が乗り込んだレンタカー「イプサム」。リーダーの判断により、冬使用の車を選んだことがその後わが一団の命運を救った。大阪市谷町を出発し中国自動車道は雪もなく天候も穏やかな曇天。米子自動車道への分岐ではチャーン規制があり、スタッドレス装着のレンタカーは無事クリア、ここまでは順調だった。
 大山を巻いて通過するはずだが、雪が激しくなり、視界は利かない。路面の積雪も増えていった。米子に着くと市内はすっかり雪景色。大阪から約4時間弱で安来市の足立美術館に到着する。
 この美術館は、創立者の意向によって入館料が2200円とかなり高い。われわれは事前にインターネットで割引券をダウンロードしたので一人2000円となる (割引券はこちらからどうぞ)。関心のない人まで来るのではなく心ある人にじっくりと視てほしいということから料金設定されている。にもかかわらず、大型バスがひっきりなしに到着し団体客が途絶えることがない。
創立者・足立全康氏の像と庭園日本一の看板 冬景色の苔庭 枯山水



●鮮烈な光景となった雪の日本庭園

 足立美術館は、郷土出身の足立全康氏が私財を投じて設立した民間の美術館で、特長は横山大観など日本画の収蔵品と「日本一」と称せられる庭園が売り物。特に庭園は、その借景となっている山の景観が荒れないよう、美術館の敷地だけでなく周辺の土地まで買っているほど情熱を傾けている。足立美術館HP
 足立氏は貧しいこの村で炭を運びながら身を立て、やがて阪神地域に出ていって不動産業で成功する。財をなした全康氏は、「何も無い」故郷の地に文化的に誇れるものを、との一念からこの美術館の設立を決意した。今や、この地方で一番というぐらいに賑わい、全国に通用する観光資源となっている。
 降り止むことの無い雪が、枯山水をうっすらと冬景色に染め、低く暗い空が広大な庭園の奥行きをまるで舞台照明のように浮かび上がらせる。
 池庭の水面に降る雪だけが積もることなく消えていく。

雪景色が風景をモノトーンに変える 音も無く池庭に消える雪 借景の山の景観も美術館が守っている
       


●100%天然素材、手漉きの広瀬和紙

 足立美術館から車で十数分のところに、広瀬町下山佐という集落がある。昔は便利が悪かったが今は良い道がついた。ここで長島家の跡取り、長島勲氏が広瀬和紙の紙漉きをおこなっている。
 山佐は平地の少ない谷間の村で、冬は厳しく、わずかな田畑と牛飼いが主たる産業であった。私の父は長島家の末っ子に近い子供として生まれたが、父の長兄の長男が勲氏だ。私からいうと従兄に当たる。勲氏は、農業の傍ら何とか産業として成り立つものを試行錯誤し、この広瀬和紙に行き着いた。「広瀬和紙」のブランドは、勲氏が全国区に高めたものと言ってもよい。
 広瀬和紙は100%天然素材でできている。コウゾの繊維を溶かし、一枚一枚手漉きしていく。混ぜるものといえば粘性のある植物ぐらいで、きわめて自然そのものの紙だ。
 当然、大量生産は出来ないが、一枚一枚が味わい深い。コンクリートで密封された現代住宅に広瀬和紙の全紙を張っておくだけでも、都会生活に天然素材の優しい質感が感じられると思った。
 その日の夜は中海から日本海側に抜けた七浦の民宿に宿泊。窓から見える日本海が大荒れで、昔の東宝映画のタイトルバックにあった波濤を連想する。翌日の積雪は一層ひどく、どこが道路かセンターラインかも分からないホワイトアウト状態で、一行は言いようのない不安に襲われた。ようやく鳥取までたどり着き、智頭街道に入ると積雪がましになって車も普通に走れるようになり、山を越して中国道に出るとうららかな春の陽がさしていたのには驚くやら拍子抜けするやら。結果的には無事帰阪することができ、季節外れの大雪の経験が思い出となったことを感謝したい。
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和紙の原料となるコウゾの木の皮 繊維を溶かし紙を漉く 天然素材が値打ちの広瀬和紙