“雨雲の 立ち去り茶の木の 露となる” ――牧之原、浜岡、登呂を往く
牧之原台地の茶の葉 夕暮れの遠州灘


●“金谷坂 飛脚も同じ 坂登る” ――牧之原台地〜金谷


 東日本に移動する時には常に通過はするのだが、静岡には長らく縁がなく、学生の頃に一度、熱海の一駅隣の民宿のようなところへ泊まったことがあるだけだった。このページには、2006年9月17日に日帰り行に、2007年3月4日の登呂遺跡の写真を加えてアップした。
 車で名神〜東名を走り、浜名湖SAで定番のうなぎ弁当を買い、緑地で昼食をとる。雲の厚い天候だった。
 相良牧之原ICで降りると、ちょうど牧之原台地の茶畑が広がるど真ん中だった。小学校の社会科を思い出す。日本一の茶の産地だけあって、住宅地以外はことごとく茶畑になっている。
 金谷駅近くに、旧東海道石畳金谷坂がある。かつての東海道の道が一部残ったいたものを石畳を整備して再現したもの。ちょうど大井川を渡り牧之原台地へと登る坂になっている。
 金谷駅は大井川鉄道の起点。SLが走ることで知られるが、残念ながらこの時は煙も見えなかった。
浜名湖 牧之原台地に広がる茶畑 見上げる台地は一面の茶畑
旧東海道石畳金谷坂 大井川鉄道金谷駅 御前崎灯台

●“灘の底まで 砂地が続く 波と風” ――御前崎〜浜岡砂丘 

 金谷から御前崎を目指す。遠州灘に突き出た岬で、西側の海岸線は砂丘が続き、東側は漁港になっている。御前崎灯台は僻地ではなく街に接して立っている。
 御前崎から西へ向かう道は延々と砂浜が続いている。途中、浜岡に巨大な原子力発電所が現れる。
 浜岡砂丘に駐車場があったので車を止め、松の繁る丘を越える。この丘の起源も吹き寄せられた砂が堆積したもので、その上に長年かけて松が根を張ったものであることがわかる。
 砂丘そのものは非常に広大なものであることが想像できる。その大半は植林の効果もあって緑の松林に姿を変えている。林が切れると砂地になり、さらに波打ち際までは広大な砂浜になっている。
 遠州灘の会場を厚い雲が覆っている。海中でサーフィンする人影もあるが、浜が広大なためにけし粒のように小さく見えた。
      
浜岡砂丘の海岸線 浜辺の小さな花を発見 広大な砂丘が松林に変わっている

●“5メートル下に 弥生の稲田あり” ――登呂遺跡を訪れた 

 2007年には静岡市へ行き、登呂遺跡を見た。住宅地が広がる中で再現された水田がある。5メートル下に弥生時代の水田が遺構として保存され、その上に現在の地表面で水田が再現されている。その間5メートルの地層は歴史によって積み重ねられたものである。
 登呂遺跡は公園となり、中心には歴史資料館と、弥生人をテーマにしたモニュメントが配置されている。公園奥には竪穴式住居、高床式倉庫などが再現されている。
 遺跡としては発見が古く全国的に有名だが、その分、再現の規模としては以外に小さい印象がある。昨年訪れた佐賀県の吉野ヶ里遺跡が巨大なテーマパークと化していたことと比較すると余計にそう思った。
 余談ながら、静岡から清水へ向かう海岸線はいちご狩が有名らしく、各ビニールハウスごとに幟がはためき客引きの要員立っていた。遺跡の地味さとは対照的な明るさだった。
      
高床式倉庫 竪穴式住居 弥生時代の水田を再現