“あらたふと 青葉若葉の 日の光”(芭蕉) ――栃木県日光東照宮を歩く
並び地蔵(化け地蔵) 日光東照宮 陽明門


●“湧き水の 流れる速さ 西参道” ――匠町から大谷川へ


 2007年2月24日、東京出張明けの休日に日光を訪れた。栃木県は以前に中禅寺湖と華厳の滝まで行ったことがあるが、写真が見つからなかったので、改めて日光を訪れた。つまりは、このHPのページを埋めるための小旅行。以前の訪問では東照宮には立寄らなかったので、今回の目的地に設定した。
 前夜、東京・東池袋の居酒屋で会議後の懇親会があり、東京駅で別れて一人宇都宮に向かった。午後九時頃の時間帯だったが、いつまでも通勤客で電車内は満車状態で閉口するほどだった。さすが首都圏の人口規模は大きい。
 宇都宮は餃子の町で有名で、駅前には看板も目に付いた。が、今回は残念ながら時間がなく駅前のホテルに直行した。
 翌朝七時にチェックアウトし、宇都宮からJR約50分で日光駅へ。路線バスで西参道まで移動。まず、憾満ヶ淵へと向かう。暖冬とはいえ、山に迫るこの地の朝は引き締まる冷気だ。
 
餃子の街・宇都宮 日光・匠町の家並み 田母沢御用邸 民家の土蔵

●“化け地蔵 数は数えず 霜の道”――憾満ヶ淵と並び地蔵の小道

 大谷(だいや)川にかかる橋を渡り、憾満ヶ淵(かんまんがふち)へと向かう。現在は公園が整備されているが、本来は民家もないうら寂しい山かげの道であったろう。未舗装の道に薄氷が張り、歩くごとに音を立てる。
 やがて、赤い布をともなった地蔵がずらっと並んだ小道に至る。看板には「並び地蔵(化け地蔵)」とある。数を数える度に違うという不気味な伝説がある。ということで、あえて数は数えない。
 地蔵が向かっているのは憾満ヶ淵(含満ヶ淵とも書く)という峡谷。男体山の溶岩の川床を清冽な水が勢いよく流れている。
 東照宮へと向かう途中に、石造の水路の備えられた道がある。泉からの水を引いて古来の上水道として利用されている。日光の町は水が豊富で、軒先の側溝にも透明な水がとうとうと流れている。この時は足を運べなかったが、近くに裏見の滝がある。松尾芭蕉が「しばらくは 滝に籠もるや 夏(げ)の始め」と詠んだ。
 
化け地蔵(列) 化け地蔵(一体のアップ) 憾満ヶ淵
石造の水路 水路のある通り 神橋

●“三猿に なれない私が 門くぐる”――世界遺産・日光東照宮

 いよいよ世界遺産の日光東照宮に向かう。朝のことでまだ参拝客は多くはなかったが、アジア方面の団体客が次々と到着してくる。
 東照宮はさまざまな木彫に特徴があり、見ごたえがある。三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)が登場する。神厩舎の軒下に彫られたもので、猿の一生を描く物語形式の中で人生訓を示したものといわれる。
 東照宮の中心であり一番のハイライトは陽明門。五百を越えるきらびやかな彫刻で飾られている。本殿を巡った後、徳川家康の墓所でもある奥社まで登る。葵の紋入りの開運の鈴を土産に購入した。
 日光は、松尾芭蕉が奥のほそ道紀行で一番に立寄った場所である。この地の記述の末尾に「これ以上は畏れ多いので・・」と記している。西行のように世捨て人にはならず、最後まで体制の枠内にいながら個性能力をを発揮した芭蕉の身のこなしが、この一文や「青葉若葉の日の光」の句に表れているように思える。
 われわれのように実力もないのに反骨精神だけが旺盛な人間には、真似できないことだ。
      
三猿 高さ36メートルの五重塔 真南を向いて建つ国宝・陽明門
陽明門の彫刻 陽明門の徳川家康像(右) 陽明門の徳川家康像(左)