芭蕉「奥の細道」出立の地を踏む――東京都墨田区深川
●仕事の合間に駆け足でめぐった芭蕉記念館

 この旅のテーマは、芭蕉「奥の細道」の足跡をたどる紀行の起点とすることであった。たまたま、仕事で午前10時半に千葉・幕張で打ち合わせする必要があり、その日の午後2時に両国駅前の会社に訪問するわずかの間隙をついて、駆け足の来訪となった。
 幕張からJRを乗り継いで両国駅へ。両国から地下鉄で一駅の「森下」着。降りて西へ歩き、隅田川に当たる手前を南へ曲がってしばらく歩くと、約7分ほどでひっそりとした地味な外観の芭蕉記念館に着いた。時間はあまりなかったが入館料は100円だったので入ってみる。
 この場所はかつて松尾芭蕉が日本橋から移ってきて芭蕉庵を構えたところといわれている。館内には、芭蕉研究家からの寄贈品を中心に展示されている。小さな庭園があり、池や滝、芭蕉の句に詠まれた草木が植えられ、築山にほこらと、かの有名な「古池や…」の句碑がある。
 余談ながら「古池や…」は英訳されるとThe old pond, A frog jumped in―, Sound of water.となるらしい。米国生まれの日本文学研究者は、学校でこのジャパニーズ・ハイクを習ったことを後に思い出し、俳句の持つ魅力を消してしまうような直訳調のものなんか教えないほうがまし、と怒っている。
 ネイティブな英語圏の人は「池があって、蛙が飛び込んだら音ぐらいするだろう、それがどうなの?」と感じるらしい。日本人が「古池や」というフレーズだけで、藪に囲まれた古色蒼然とした池を思い浮かべ、静寂の中で蛙の飛び込んだ水面の波紋の映像まで思い浮かべるのは、作者と読者が言葉に対して共通するイメージを持っているから成り立つことのようだ。
 相手のとの間に共通する認識を持っているかいないか、これはさまざまな局面でのキーワードとなってくると思う。



芭蕉記念館の庭園 堤防上に設けられた芭蕉展望公演 隅田川を見つめる芭蕉像


 
● “月日は百代の過客にして”――この地より芭蕉は出立した

 芭蕉記念館から隅田川の堤防沿いにさらに南へ5分ばかり歩くと、隅田川と小名木川が直角に交わる開けた地点に小高い盛り土があり、そこが「芭蕉展望公園」となっている。ちょうどお昼休みの時間と合って、作業着、事務服姿の社員さんたちが秋の日差しを浴びながら堤防に座ってお弁当を食べていた。中小企業の多い街である。若き日の吉永小百合が登場する白黒の映画の1シーンを連想した。
 展望公園のすぐ近くには芭蕉稲荷神社がある。小さな無人の祠である。著名な俳人であるだけでなく、祀られる存在なのか。
 南へ橋を渡ると清澄(きよすみ)公園がある。公園の反対側に回り込むと、杉風(さんぷう)の庵跡がある。実はここが、芭蕉が奥の細道へ出立した場所といわれている。さっきの芭蕉記念館のあった場所に住んでいたのだが、奥の細道行脚の前に、なぜか弟子である杉風の居所に寝起きし、ここからの出立したそうだ。
 橋のたもとに庵が再現され、今まさに旅立とうとする芭蕉の像が縁側にあった。
 芭蕉庵から杉風の居宅に移るにあたって芭蕉が詠んだ句(前述の芭蕉記念館の入り口に句碑があった)は……
  草の戸も 住み替る代ぞ 雛の家


芭蕉稲荷神社 杉風庵跡 奥の細道に出立せんとす芭蕉


●行く春や 鳥啼き 魚の目は涙 

 杉風庵跡を見たところで時間が迫り、両国駅まで急いで戻る。両国に着いてみると約束時間まで多少の時間があって、昼食を摂ることができそうだった。
 JR両国駅のガード下のちゃんこ料理の店で、「深川めし」のセットを注文。「曲げわっぱ」に入って、あさりの炊き込みご飯が登場。これが日本5大銘飯といわれる漁師発祥の飯か・・と一気に食べると、美味しいこの上ない。大満足の味だった。
 仕事の打ち合わせを終え、両国駅北隣にある巨大な建物に入る。「江戸東京博物館」というスケールの大きい施設。夜間まで時間延長して開館しており、展示も見ごたえあり。特に関東大震災の関係は充実しており「亀戸事件」の資料や、水平社結成大会の伝単(ビラ)など珍しい。
 芭蕉は奥の細道の初日に詠んだのは「行く春や 鳥啼き 魚の目は涙」。よく考えるとこの句は引っ掛かりが多い。魚の目は涙、とはリアリズム超えて思いを込めた大胆表現。われわれにはとても使えない言い回し。この日は、駒形の東急インにて宿泊。翌日は群馬県草津温泉に向かう。この続きは、群馬県のページへどうぞ。

江戸東京博物館にて展示のジオラマ1 江戸東京博物館にて展示のジオラマ2