我もまた 補陀洛渡海の 孤舟の如く 憂き世の波濤に 漂うばかり――南紀〜串本、太地、那智、新宮をめぐる冬の旅
太地で出会ったイルカ君 海が岩盤を削った景観:海金剛


●強風・晴天の潮岬燈台

 2005年12月23日・24日の両日、一泊二日で南紀を巡った。交通機関は亡父の形見の軽自動車。この年の師走は記録的な寒波となったが、幸いこの南紀行きは路面の雪氷に悩まされることもなく、晴天に恵まれた。
 早朝5時半に出発、近畿道から阪和道に入り南部まで。そこから先は地道で一本道。渋滞はなく、9時50分に串本海中公園に到着した。駐車場は広く無料、海中公園に入場は1050円、グラスボートは別料金だがこの日は強風のため波も荒いので船には乗らないことにした。館内は水族館とサンゴ等の展示があり、巨大ヒトデがなかなかグロテスクだった。
 海中公園のハイライト・海中展望塔へは海上の橋を渡って行く。水中の丸窓から外を見ると海中は明るいグリーン色に輝き、餌付けの成果か、無数の魚が居ついていた。
 串本海中公園から潮岬へ向かう。車は少なく、10時半には潮岬に到着した。天候は快晴、ただ冷たい風が吹きつけている。本州最南端の燈台・潮岬燈台は、珍しく一般に開放されていて、有料(燈台150円、駐車場300円)ながら見学ができる。私も燈台守の次男として育ったのだが、燈台は観光施設ではないので通常は職員以外を内部に入れることはない。
 真っ白い燈台の内部の螺旋階段を登り詰め、最後の鉄梯子を上がると燈台の窓の外へ出る。驚嘆の声が出る瞬間だ。眼の前に円弧を描くような太平洋の水平線が飛び込んでくる。衝撃的な青色だ。この高さは地上と風の強さが全く違い、さえぎるもののない風は真っ直ぐ立つのが困難なほど吹きつけてくる。燈台のある岬から海岸線へは断崖を成す岩場があり、太平洋の波濤が洗っている。
 海岸から少し離れた海中の岩礁に、釣り人の姿が見えた。この後も海岸の各所でしばしばこうした命がけの釣り人を見たのだが、逃げ場もなく足場も不安定な小さな岩礁で寒風の中を釣りをする人の心情は、私にはとうてい理解できない。
串本海中公園 海中展望塔 展望塔の中から海底を望む
            
潮岬燈台(入口から見たところ) 燈台上から見た太平洋 資料室に展示されている燈台レンズ 潮岬燈台(下から見上げたところ)



●穴場的楽園の島だった紀伊大島

 潮岬から大島へ渡った。かつては串本節に歌われた巡航船しかなかったのであろうが、現在は立派な橋が付いていて陸続きで行ける。この島は、今回の行程の中で寄るかどうか迷ったところだが、予想よりもずっと良かった。まず、島の道路とは思えないぐらい道が良いし駐車場や標識も完備されている。自動車道は島民の生活ゾーンと分かれていて、移動がしやすい。
 目指すは樫野崎燈台。駐車場(無料)から広い遊歩道があり、段差なく行けるので高齢者でも安心であろう。かつてトルコ軍艦が大島沖で遭難し、島民が生存者を献身的に救護したことから、この島とトルコ国との友好関係が続いている。この遊歩道沿いには「トルコ人の店」など、トルコ民芸品の販売店や、「のびるトルコアイス」が売られている。
 樫野崎燈台の前は、水仙が咲き誇っていた。燈台を建築したイギリス人が植えたものが年々増えていったものと言われている。燈台内部は通常は公開されていないのだが、この日は特別なイベントとして無料見学でき、説明係の人もいた。見覚えのある海上保安庁の記章をつけていたので尋ねると、現職の海上保安庁職員であるとのことだった。
 樫野崎から少し移動すると、有名な海金剛がある。この島に多い樫の木の林を抜けて断崖の上の展望台に出る。急に視界が開けて荒々しい岩礁と青い海が現れる。荒波が岩を削ぐことによって生み出された独特の景観だ。山と海のせめぎ合いのようにも見える。
特別公開中だった樫野崎燈台 花盛りを迎えるスイセン 海金剛の岩礁(釣り人が見えますか?)
裏金剛の景観 奇勝:橋杭岩 潮の引いた橋杭岩は地続きになる

       

●イルカと鯨と那智の滝

 鯨で有名な太地に立寄った。本来、太地温泉に宿泊して鯨を食べたいと思っていたが、手ごろな空きがなかった。遅い昼食になったが、くじらの博物館前の店で鯨の竜田揚定食を食す。
 くじらの博物館は、アスベスト除去工事中とのことで展示エリアが閉館中、半額で入場してプールと水族館を見学することにした。まず出会ったのはフレンドリーなイルカ。優しい目をしている。天然の海の入江を仕切ったプールにはシャチが悠然と泳いでいた。
 時刻がまだ早かったので、翌日の予定を前にくり入れて那智の滝まで行くことにした。那智の滝は、熊野那智大社と隣り合う那智山青岸渡寺、そして落差133mの那智の滝の三つが同居している標高500mの聖域である。
 那智の滝は、遠近感を失うぐらいのスケールで、水が垂直に落下するという点でも見事な姿である。また、熊野那智大社、青岸渡寺境内からも滝が見える仕組みになっている。
 勝浦と那智の滝の途中にある補陀洛山寺には、補陀洛渡海(ふだらくとかい)の言い伝えがある。海の南にユートピアがあるという伝承のもと、この補陀洛山寺の僧が渡海船と呼ばれる小船にわずかな水と食料とともに載せられ、那智の浜の海岸から沖へと流されるというものである。太平洋上の小船の中では、桃源郷どころかこの世の生き地獄となってことが想像できる。即身仏と双璧をなす残酷な習慣である。
 しかし、私たちもまた、いつか補陀洛にたどり着こうと幸福を追求しながらも、現実にはこの世を生きるあらゆる苦しみを背負わされている。しかもいずれ死という破滅に向かうことだけは決まっている。まさに補陀洛渡海は現世の人生そのものと変わらないのではないだろうか。

      
イルカが出迎え 鯨の骨格標本:くじらの博物館 くじらの博物館奥の海食洞
梶取崎燈台 名瀑:那智の滝 133M 青岸渡寺から滝を見る

●瀞峡の神秘と浮島の不思議

 23日の宿泊は勝浦温泉の隣の湯川温泉に宿泊した。ホテル形式だが、住宅地の中にあり、雰囲気は民宿の規模を少し拡大した感じ。食事は美味しく不満はなかったが、温泉浴場の露天風呂部分が閉鎖されていて残念であった。
 24日の朝は、新宮へ向かい、熊野川で左折し遡る。志古に熊野交通のウォータージェット船乗り場がある。めざす瀞峡へは、この船でないと行けない。
 船の運賃は3340円となかなかのバリューだが、実際に乗ってみると値打ちは感じられた。まず、迫力とスピード感が並みの船とは全く違う。水深の浅い川を行くために設計された船であり、座席に座ると目線は喫水線に近くなる。川の流れの中にある岩が目の真横を時速40kmで通り過ぎていく。川底の地形を知り尽くした船頭さん(操縦者)ならではの職人技か。
 瀞峡に入ると、水の色はエメラルドグリーンに変わり、水深の深い淵は深みのある緑色となる。名称の付いた岩が屹立する峡谷にくると、船の天蓋が開いて頭上の岩を見上げる。和歌山・奈良・三重の三県の県境が接する地・田戸で一旦着岸し、休憩が入る。そこでは土産物屋があり、団体撮影して写真の注文をとる人もいて、なかなか商魂を感じさせる。が、昔の観光地風の口上で雰囲気は和らぐ。寒い日だったので、温かい甘酒がありがたかった。乗船時間往復で約2時間を経て志古へ戻る。
 なお、三重県にかかるので本文では省略するが、この後獅子岩・鬼ケ城と侵食された海岸線の見所を巡り、クリスマスイブの大阪の街へと舞い戻った。優しさのない喧騒に満ちた都会の海――ふと、補陀洛渡海に漂う孤舟の僧の心が想像された。
            
ウォータージェット船内部の様子 緑色の幽玄境、瀞峡へ 田戸発着場に着岸する船